奥行きのある細長い造りから「鰻の寝床」と呼ばれる京町家。京都の象徴といえる存在であり、長い歴史の中で様々な暮らしの知恵と工夫を積み重ねながら発展してきました。住み、働き、学び、憩うことのできる京町家は、住民の力で現在まで受け継がれてきました。
しかし、近年は取り壊されることも多く、その数は減少傾向。そのような中、民間の取組により2017年には3月8日がMarch8として「町家の日」に制定されるなど、京町家の保全と再生に向けた積極的な取組が推進されています。
京町家の意匠や多様な町家建築、それらが形成するまち並み、生活文化…すべて京都の貴重な文化遺産です。今一度、京町家の伝統や美意識、文化などを"発見"し、京町家とその暮らしの文化に息づく魅力を感じてみましょう。
昭和25年(1950)以前に建設された木造建築物のうち、
伝統的な構造及び都市生活の中から生み出された形態または意匠を有するものを定義とする京町家。
まずは、外観に注目しましょう。
※掲載内容は一例でほかにも多種多様な造りがあります
京町家の表に面する通りに向かって伸びる庇。庇の下は、誰もが通れる通り道である一方、ばったり床几の設置スペースとしても活用。半公共的な空間になっています。
京町家の軒先の瓦の下端は、切り落とされたように真っすぐ揃っています。こうした真一文字の瓦にして水平ラインを強調することで、統一感のある美しいまち並みを生み出しています。
人や馬を必要以上に家へ近づけさせないための柵。昔は馬や牛をつなぐためにも利用されました。また軒下空間を家主が活用しやすくするための囲いにもなっています。
土で塗り固めた格子状の窓。厨子二階(※)に多く見られる意匠です。通風、採光、防火目的のほか、表の道を通る人々を見下ろさないためともいわれます。
※天井を低く設計した表に面する2階の部屋のこと
大きな荷物を運ぶ時は大戸、夜間の人の出入りなどには防犯の目的もあり、大戸の一部に設けたくぐり戸を使います。そうすることで、室内温度をなるべく一定に保つ効果もあります。
軒下にしつらえた収納可能な折り畳み式の台。店の商品の陳列棚や休憩用の椅子として活用されます。
採光以外にも、外を歩く人から家の中が見えにくく、家の中からは外の様子が良く見えるという防犯機能を持ち併せています。
営む商売の種類などによって格子のデザインが異なります。
建物の端の壁を高く上げて屋根にのせた部分を「うだつ」といい、隣家で火災が起きた時の延焼防止を目的としています。装飾としても重要になり、立派なうだつのある家を建てられないという意味で、ことわざの「うだつが上がらない」の語源のひとつともいわれています。
職住共存を基本とする京町家。
その内部には、ライフスタイルに適した機能性と芸術性を兼ね備えた工夫が随所に凝らされています。
そうすることで、便利かつ心地良い暮らしを京の人々は実現してきました。
※掲載内容は一例でほかにも多種多様な造りがあります
奥庭に面した座敷は、来客をもてなす場にもなる格式高い部屋。そのため、床柱や欄間などは特別な素材や様式でしつらえられることも多く、こだわりと誇りを感じる空間に仕上がっています。
おくどさんを置いた場所に設けられた吹き抜け空間。炊事による熱や煙などを逃がします。小屋組の梁の行きかう造形美は職人技の見せ所。
坪庭は、部屋と部屋の間にある小さな庭であり、奥庭は、家の奥にある座敷に面した庭のことを指します。都市部にあっても四季折々の自然を楽しめる空間として整えられ、風と光を取り込むだけでなく、火災時の延焼を防止する役目も担っています。
玄関から奥へ続く細長い土間で、家の中に光や風を取り込みます。通りに面した表は客人の対応や作業場になる「店庭」、おくどさんを置く炊事場は「走り庭」と呼び分けます。
京町家の建築には、木、竹、紙、土、石 といった自然素材が活用されます。中でも、約600年前から北区中川を中心とした地域で生産されてきたという北山丸太は、独特の光沢ある木肌から床柱などに用いられてきました。
京都には暮らしの中で育まれてきた四季折々の年中行事があります。
これらは人々の生活に寄り沿いながら、行事や季節に応じたしつらえ、食文化、信仰などを先人の知恵として今日まで継承・発展させてきました。
地域や家庭によって違いはありますが、京町家に暮らす人々が大切にしてきた年中行事にまつわる暮らしの文化を紹介しましょう。
元旦、各家庭に福をもたらす年神様を迎え、幸を授かるために様々な行事や風習が生まれました。年神様を迎える準備が整った後に飾る注連かざり、長寿を祈る平安時代の風習にちなんだ根引松、神様とともに使う柳箸で食す白味噌雑煮。いずれも一年の幸福を祈る人々の想いが形となって受け継がれています。
平安時代の宮中で行われていた追儺という大晦日の行事が、立春前日に一年の無事を祈る鬼やらいの行事として定着。家庭では豆まきや、焼いたイワシの頭を柊の枝に刺したお守り「柊鰯」を玄関口に飾り邪気祓いをします。
女の子の成長を祈る上巳(桃)の節句といえば「ひな人形」。京都では宮中にならい、向かって右に男雛、左に女雛を並べます。また、生魚を使わない「ばらずし」や、宮中儀式に用いた戴餅に由来する菓子「引千切」は、ひな祭りの行事食です。5月になると、男の子の誕生と成長を祝う端午(菖蒲)の節句があり、通り庇の上に菖蒲を飾ったり菖蒲湯に入ったりすることで穢れを祓います。この日に食す和菓子のひとつが柏餅。京都では白味噌入りも好まれます。
祭事や季節にあわせ、京町家のしつらえを替える建具替え。そして季節に応じた花や掛け軸などを飾り自然を取り込む床の間。こうした季節ごとの模様替えは、京町家で心地良く暮らすための知恵であり、生活にリズムをもたらします。
昔ながらの風習である、家の前の道を掃き清める門掃きと打ち水。とくに打ち水は夏を涼しく過ごす工夫でもあります。こうした暮らしの習慣は、住民同士のコミュニケーションを深め、地域の生活文化を育むきっかけにもなっています。
8月24日頃、地蔵菩薩の縁日にちなみ多くの町内で行われている行事。お地蔵さんを祀る祠の前などで地域住民が企画した子ども向けのプログラムが実施されます。伝統的な数珠まわしや「ふごおろし」、お菓子配りなど、世代を越えた交流の場にもなっています。
※地蔵盆は「京都をつなぐ無形文化遺産」にも選定
「おくどさん」は米や料理を煮炊きするかまどを指す京ことば。京町家の通り庭や奥の土間によく設けられます。おくどさんのそばには「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の護符や伏見人形の布袋さんを飾り、火除けを祈る風習があります。
京都遺産「世代を越えて受け継がれる火の信仰と祭り」もCheck!
京町家の暮らしには、日常(ケ)と非日常(ハレ)のけじめをつける心得というものがありました。日常は贅沢を慎むことで、非日常との対比が生まれ、暮らしにめりはりがつきます。それは、衣食住全般に渡りますが、特に、食事について、京町家を住まいとした商家では、質素倹約をした食のならわしがありました。一つの例が「朝夕飯はお茶漬けとお漬物、昼飯は一汁一菜」です。朝夕飯におかずはつかず、昼はおかずがひと皿。汁物とおかずは、季節の旬の野菜、豆腐など安価な食材を中心としていました。おかずは、現在では、おばんざいと称されています。自然の恵みを無駄なく使い切り、残り物は捨てずに食べ切るための知恵と工夫がなされてます。
また、年中行事・祭礼には、お決まりの行事食がつきものです。正月の白味噌雑煮、雛の節句のばら寿司、祭礼を祝う鯖寿司が代表的です。これらは、京町家の台所で手づくりされ、家族、親戚が食卓を囲み集う場に欠かせないものでした。京町家の暮らしに伝わる伝統的な食文化の姿を忘れてはならないと思います。
京町家といっても、その建築様式は多種多様。
建築された時代や地域、生業などによって造りが異なります。
実際に足を運べば、それぞれの違いや京町家の魅力が、より一層伝わるでしょう。
※掲載施設の公開時期や方法はそれぞれ異なります
五条坂で8代続く陶器店。明治期に5代目が建てた京町家は虫籠窓がある厨子二階建てで、坪庭が店内に光を取り込んでいます。改修時は「京町家まちづくりファンド改修助成事業」が適用され、外壁の修復やばったり床几の設置などが行われました。
江戸時代に創業した呉服商の京町家。現在の建物は江戸末期の大火後、明治3年(1870)に再建され、大規模な商家の佇まいを受け継いだものです。祇園祭では、伯牙山の懸装品を飾るお飾り場に。なお、座敷庭や走り庭といった庭は、国の名勝に指定。
※「京都を彩る建物や庭園」制度認定
明治時代の呉服問屋創業時に建てられた京町家は、西陣の商家ならではの特徴を残す職住一体型。能舞台や武者小路千家9代家元が監修した茶室も有しています。現在は「くらしの美術館」として暮らしのしきたりや風習を伝える活動も。
※「京都を彩る建物や庭園」制度認定
代々呉服卸商を営んできた長江家は、南北それぞれに厨子二階の主屋を持ち、店舗と住居からなる職住一体型の大型京町家。祇園祭の際に「屏風祭」(ミセ、ゲンカンに屏風や嗜好品などを飾って公開)を行うのも、山鉾町界わいの旧家ならではの文化です。一般公開は「屏風祭」を行う年3日間のみ。
かつて庄屋を務めていた長谷川家住宅は、寛保2年(1742)の建築で、今では珍しくなった京都市南部の近世の大型民家です。重厚な佇まいの農家住宅でありながら、主屋の2階に虫籠窓が設けられるといった京町家の影響も見られます。
※「京都を彩る建物や庭園」制度認定
呉服商の大番頭が昭和7年(1932)に建てた京町家。高い塀を取り付けた大塀造りという住宅建築です。取引先のお客様をもてなすため、家屋の前に設けた玄関庭、奥庭に面する広々とした大座敷、国宝の茶室・待庵を手本とした茶室などが設けられています。
ほかにも多彩な京町家が市内に残されています。その一部をご紹介しましょう。
北区 | らくたび京町家紫野別邸(荒川家住宅) 明治期に建築。おくどさんが印象的 |
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上京区 | 水野克比古フォトスペース「町家写真館」 明治初期の典型的な表屋造りの京町家を修復した写真ギャラリー 山中油店 老舗油商の店舗で、創業した江戸後期の面影を残す建築 |
左京区 | 瀧澤家住宅 鞍馬街道沿いに建つ京都市内最古級の京町家 |
中京区 | 小川家住宅 江戸時代には大名の宿舎としても活用された個人住居 キンシ正宗堀野記念館 かつての造り酒屋で、酒蔵の遺構や道具類も残る 島津製作所 創業記念資料館 島津製作所創業者の住居で本店でもあった木造2階建て建築 八木家住宅 壬生村の旧家で新選組の宿所ともなった邸宅 吉田家住宅(京都生活工芸館 無名舎) 白生地問屋を商った京商家の典型ともいうべき表屋造りの町家 |
東山区 | 旧並河靖之邸 七宝家・並河靖之の旧邸。伝統的な職住一体の佇まいを遺す近代和風住宅。京町家の構えに新しい要素も 下里家住宅 祇園のお茶屋の特徴を残す明治期の建築 |
下京区 | 角屋 江戸時代のもてなしの場「揚屋」建築の遺構 秦家住宅 代々薬業を営んでいた秦家の店舗兼住宅 輪違屋 古い由緒のある島原の「置屋」で、元禄年間創建と伝わる |
※掲載施設の公開の有無、方法はそれぞれ異なります
「京町家とその暮らしの文化」は、「京都遺産」として誠にふさわしい。
第一の理由は、京町家の歴史が千年に及ぶからです。京町家は、平安後期に描かれた絵巻物「年中行事絵巻」にその姿がはっきりと描かれていて、京町家の基本的な形が、その頃すでにできあがっていることがわかります。京町家は、今日に至る長い歴史の中で原型を保持し、営々と住み続けられてきました。日本の町家の歴史の中で格段に古い存在です。世界的にみても、京町家に匹敵する歴史を持った木造の都市住宅を見つけることは困難でしょう。その意味では日本を超えて世界史的な価値を持っています。京町家は、世界遺産に登録されるべきレベルの「京都遺産」なのです。
京町家の特徴は歴史の長さに留まりません。京町家には実に多様な形式があります。第二の理由として、京町家の多様性が挙げられます。
通り土間に沿って部屋が並ぶ形が間取りの基本ですが、大型のものは棟を前後にわけた「表屋造り」という形式を備えています。通りに面して高い塀を建てた町家も多く、「高塀造り」あるいは「大塀造り」などと呼ばれます。「高塀造り」は旅館や料亭建築としても使われる町家形式です。西陣の地域では、広い機場を備えた独特の町家が今も多数残ります。いわゆる「織屋建て」です。花街に建ち並ぶお茶屋や置屋などの建物も、京町家の花街版です。昭和戦前期、土地区画整理事業などによって開かれた新興の住宅地には、表に玄関庭や前庭を設け、伝統的な町家とは趣を異にする町家が群をなして建ち並び、近代の京都らしい新たなまち並み景観を創出しました。
さらに市中には、京町家の伝統意匠を完全に脱した、屋根は平らで箱型の、中にはコンクリート造もある、一見して京町家とは思えない異形の町家が数多くあります。これらも、実は京町家の伝統に根ざした建物であることがわかっています。この手の「洋風町家」も京町家の近代版です。京町家は、歴史の長さとともに、多様性という点においても文化的価値が高く、これらが連なることで多彩で豊かなまち並み景観が生み出されているのです。
町家の中を見てみましょう。通り土間に沿って生活空間が奥の方へと展開しています。京町家では庭(前栽)が大切にされます。それは生活空間の軸が縦方向に、時には坪庭を挟みながら必ず庭と連結しているからです。この明瞭な軸線を伴った生活空間の伝統も、京町家の文化的価値を高めています。家の規模や形式、間取りは様々であっても、通り土間が方向付ける伝統的な生活軸を共通に持ち、京町家の生活文化を支えているのです。
長屋建ての町家も忘れてはいけません。京都ほど、路地裏の長屋街区が多く残る都市は他にないでしょう。細い路地は地蔵盆の舞台でもあります。裏路地に生き続ける伝統的な生活空間とその文化は、「京町家とその暮らしの文化」の一翼をなしています。
京町家が最も華やぐのは祭りの日です。祇園祭を思い起こしてください。町家は普段の表情を一変させ、祭礼の舞台へと変貌します。京町家は京のまちとともに生き続け、暮らしの文化とともに、都市文化とも不可分な関係にあります。
「京町家とその暮らしの文化」は、古都京都の伝統文化の基底をなす存在なのです。
通りから一歩足を踏み入れたところにある、京町家が並ぶ細い通路。京都では「ろーじ」とも呼ばれる路地空間も、大切に守っていきたい歴史あるまち並みのひとつです。路地には職人の仕事場や住まいが並び、生活が営まれてきました。各家に広い庭や大勢で集まることのできるスペースがない代わりに、路地そのものが暮らしの空間になります。ご近所さんとの井戸端会議、子どもの遊び場、地蔵盆の会場などに利用されることで、路地は暮らしの安全を保ち、豊かさも育みます。
近年、路地や京町家の魅力に惹かれた国内外の人々によって、新しい活用方法が生まれています。たとえば、アーティストのアトリエ、シェアオフィス、ギャラリー。こうしたニーズが高まるとともに、実際に暮らしてみたいという需要も増えています。
住民が主体となった活動のもと、美しく保たれ続けている京町家の歴史的な景観。こうした地域を「伝統的建造物群保存地区」、「歴史的景観保全修景地区」、「界わい景観整備地区」に市が指定することで京町家を含む歴史的建造物の保全を目指すとともに、修理・修景の助成を行っています。また平成29年には「京都市京町家の保全及び継承に関する条例」を制定。この条例をふまえ、個別の京町家の指定(個別指定)や京町家が集まる地区を指定し、保全継承を目指す取組を進めています。
先斗町京町家保全継承地区
祇園縄手・新門前京町家保全継承地区
祇園新橋京町家保全継承地区
万寿寺通(東洞院通から寺町通まで)京町家保全継承地区
※個別指定を受けた京町家は全346件(平成30年12月28日時点)
京都を彩る建物や庭園
京都の財産として残したいと思う建物や庭園を市民から公募して選定し、特に価値が高いものを認定。京町家のほか様々な文化財の維持継承を市民ぐるみで目指しています。
京町家まちづくりファンド
篤志家の方からの寄附と京都市、国からの支援をもとに、(公財)京都市景観・まちづくりセンターが設立。市民・企業からの寄附をいただきながら、京町家の保全・継承の取組を支援しています。