テーマ10

京の商いと祇園祭を支えるまち

京の経済の中心地、
受け継がれる心と伝統

京都経済センターが建つ四条室町。祇園祭の際には山鉾の通過点となる四条新町。この一帯は古くから、ひと・もの・情報が交流し、京都が商工業都市として発展するための中心的な役割を果たしてきました。地域の人々は、商いの場と住まいを共存させながら暮らしを育み、祇園祭の山鉾行事の担い手として尽力。そういった日々の中で、自治の気風や、芸術・文化に親しむ心を培っていきます。現在も京都の中心として賑うこのまちで、数百年にわたる伝統と、それを受け継ぐ心を"発見"しましょう。

「上杉本 洛中洛外図屏風」右隻二扇~五扇(部分) 米沢市上杉博物館所蔵

まちを紐解く
3つのキーワード

四条室町・新町は、祇園祭で「山」や「鉾」を出す町々が集まる
「山鉾町」の中でも特に賑やかな界わいです。
この地域の歴史や特徴を表す主なキーワードを紐解くと、
まちに受け継がれている心や伝統が浮かび上がってきました。

キーワード 1
京の商い・文化

四条室町・新町界わいは、オフィスや銀行などが集中する商業地域。こうした「商いのまち」としての賑いは平安時代後半からはじまり、特に中世以降は、商工業の中心地のひとつとして大いに栄えます。そして町衆は、協力し合いながら自治と自衛に励み、自分たちの暮らしを豊かにする文化を育んでいきました。

キーワード 2
祇園祭

数百年にわたり、祇園祭の山鉾行事を支えてきた八坂神社の氏子地域にある山鉾町。まちに山鉾が建つ頃、四方に山鉾が見える四条室町のことを「鉾の辻」とも称します。一帯には、祇園祭を受け継ぐ地域特有の文化が、数多く根付いています。

キーワード 3
暮らし

歴史ある京都の中心都市で、商いと住まいを共存させてきたこの地域の人々は、自治意識や芸術に親しむ心を培いながら暮らしを営んできました。まちなみや建物などを通じて、今に続く暮らしの伝統・文化に触れることができます。

「上杉本 洛中洛外図屏風」(部分) 米沢市上杉博物館所蔵

キーワード 1
京の商い・文化

千年の歴史を誇る
京の商い」の中心地

京都経済センター

かつて平安京は、メインストリートの朱雀大路を中心に、左京と右京のまちで構成されていました。しかし、湿地帯が多く、人が定住しにくかった右京は衰退。左京の都市化が進み、まちは南北に拡大します。次第に二条通を境として、北部で上京、南部で下京が形成され、下京は商工業者のまちとして発展しました。その中心地のひとつとなったのが、四条室町・新町一帯です。元々、朝廷に勤めていた商人・工人たちが、平安王朝の弱体化とともに自立。室町通や新町通に多く進出し、京都屈指の和装卸問屋街として栄えていきます。
室町時代には、当時の地域コミュニティである「町(ちょう)」同士が連合して「町組(ちょうぐみ)」を結成。度重なる戦乱で被害にあった地域の復興や治安の維持、祭りの運営など、町衆が団結して取り組みました。こうして今の学区につながるような地域コミュニティを育んでいきます。
長きにわたり、町衆が主体となって経済活動をリードし発展してきたこの地域。現在も一帯を歩けば、銀行や店舗が建ち並び、和装・繊維関連の会社が軒を連ねています。平成31年(2019)3月には京都経済センターもオープン。伝統を継承しながらも現代の風を取り入れ、商いのまちとして新たな歴史を刻んでいます。

「上杉本 洛中洛外図屏風」(部分)米沢市上杉博物館所蔵
室町通

室町時代には有力な商人が軒を連ねたという室町通。現在の四条室町に建つ京都経済センターは繊維産業の振興拠点「京都産業会館」を建て替えてオープン。経済界の交流と融合の場になるとともに、ショップを備えた「SUINA室町」を併設して地域経済を盛り上げます。

新町通

室町幕府の高札場※が置かれた四条新町は「札の辻」と称され、下京の中核と認識されていました。京都商人総筆頭として家康にも仕えた豪商・茶屋四郎次郎清延の邸宅も新町通にあったといいます。

※幕府の出した法令を掲示して民衆に知らせる場所のこと。

歩いて発見!

地域に息づく文化香り

地域経済の発展をリードしてきた四条室町・新町界わいでは、
生活を豊かにする様々な文化が、人々の暮らしの中で育まれました。

市中の山居しちゅうのさんきょ
提供/無鄰菴管理事務所

室町時代、裕福な町衆の中に「下京茶湯者(しもぎょうちゃのゆしゃ)」と呼ばれる人々がいました。彼らは都市部の下京で、世俗を離れた山中にあるような草庵風の茶室をつくります。こうした茶室の佇まいを「市中の山居」といいました。繁華街に静かな空間をつくるという嗜好は、職住の場である京町家に庭や茶室を設けるという生活文化にも表れているといえます。



大黒庵武野紹鷗(だいこくあんたけのじょうおう)邸址

わび茶の祖・村田珠光(じゅこう)の養子とされる村田宗珠(そうじゅ)や、千利休の師匠にあたる武野紹鷗も下京茶湯者のひとり。

提供/無鄰菴管理事務所
いけばな発祥地

下京の町衆に親しまれた六角堂は、いけばなの発祥地として知られ、後世に名を残す数多くの名手を世に送り出してきました。寺の住職を代々務めるのは、華道家元池坊。境内に建つ池坊ビル3階の「いけばな資料館」では、いけばなに関する文献や道具、寺の宝物などが観覧できます。

芸術の発信地
明治2年(1869)に開校し、町衆がお金を出し合って改修した明倫小学校は、閉校後も地域のシンボル。

呉服問屋ばかりでなく、釜師や画家も暮らしていた明倫学区。学区内に建つ元明倫小学校の建物(国登録有形文化財)も、現在は京都芸術センターとして親しまれ、京都における文化芸術振興の中心的な役割を担っています。



円山応挙(まるやまおうきょ)宅址
画家呉春(ごしゅん)宅址

近代京都画壇の源流ともなった円山派の祖・円山応挙や四条派の祖・呉春も下京に邸宅を持ちました。

明治2年(1869)に開校し、町衆がお金を出し合って改修した明倫小学校は、閉校後も地域のシンボル。
錦の多彩な魅力

約400年の歴史を誇る錦市場は、京の食文化に欠かせない「京の台所」。祇園祭の神輿渡御(みこしとぎょ)にも奉仕し、還幸祭(かんこうさい)の神輿渡御(7月24日)では西御座神輿が錦のアーケードを通ります。江戸時代の絵師・伊藤若冲(じゃくちゅう)は錦市場の青物問屋生まれ。市場が存続の危機に陥った時、若冲も奔走したという逸話が残ります。

キーワード 2
祇園祭

祇園祭」を支えて数百年、
山鉾に宿る町衆の心

八坂神社の祭礼である祇園祭は、7月の一箇月間にわたり、様々な神事や行事が執り行われます。祭りのはじまりは平安時代。全国的に流行した疫病を牛頭(ごず)天王や疫神の祟りと考え、神泉苑で行った疫病退散の行事が由来と伝わります。
「山」や「鉾」が誕生したとされるのは、南北朝時代の頃。以降、町衆の経済力の成長とともに、町ごとに豪華絢爛な装飾が施され巨大化。火災や戦乱で山鉾を焼失したり、巡行が中断したりと、様々な難局に直面しますが、山鉾町の町衆や氏子組織が中心となって支え、守り、発展させてきました。そうして昭和54年(1979)には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成21年(2009)にはユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載されました。平成26年(2014)には、前祭と統合されていた後祭の山鉾巡行が約半世紀ぶりに復活。本来の祭儀の姿を取り戻したと話題になりました。
時代ごとに異なる様々な危機や問題を抱えながらも、立ち上がってきた数百年。山鉾には、商いのまち・山鉾町に暮らす町衆の情熱や誇りも宿っています。

歩いて発見!

祇園祭にまつわる
山鉾町伝統・文化

7月の山鉾町周辺で出会える、祇園祭にまつわる様々な伝統・文化。
町衆の情熱や美意識、脈々と息づく信仰心を感じることができます。

町衆の心意気が伝わる山鉾巡行

八坂神社の御祭神を遷した神輿が渡御する前に、都大路を祓い清めるのが山鉾巡行の役割です。令和元年(2019)時点では前祭(17日)で23基、後祭(24日)で10基の山鉾が巡行しました。山鉾を彩る懸装品(けそうひん)は、町衆の経済力や美意識を象徴する数々の美術工芸品。織物や彫刻、金工品など、あらゆる伝統の技が組み合わさって生みだされる貴重なものであることから、山鉾は「動く美術館」とも称されます。ほかにも、山鉾の辻回し、くじ改め、綾傘鉾の棒振り囃子など、山鉾巡行は多岐にわたる魅力であふれています。

宵山・屏風祭で芸術鑑賞

まちに駒形提灯が灯る山鉾巡行の前夜の各3日間を宵山といいます。町会所(ちょうかいしょ)に飾られた懸装品を見物する人々などで賑う中、山鉾町の商家などで実施されるのが屏風祭です。建物の通りに面した表の格子を取り外し、秘蔵の屏風や美術品を飾って公開。品々の芸術性はもちろん、町衆の美意識にも心惹かれる行事です。

藤井絞株式会社(藤井家) 撮影:井上成哉
祇園祭ゆかりの食文化

京都で祭りの食事といえば寿司ですが、祇園祭では旬の鱧(はも)料理を用意する家も多く、鱧祭という祇園祭の別称も存在します。ほかにも、長刀鉾の稚児が八坂神社に参拝した後、皆に振る舞う神饌(しんせん)の稚児餅。八坂神社の神紋(五瓜に唐花)が、輪切りにしたきゅうりの切り口に似ていることから、祇園祭の期間はきゅうりを食さないという風習も。祇園祭には様々な食文化も息づいています。

稚児餅(中村楼) 稚児餅にちなんだ、もち粉を使った「祇園ちご餅」(三條若狭屋)

キーワード 3
暮らし

暮らし」を育み、つながる地域

京都の経済の中心地として、祇園祭の山鉾行事を担いながら発展した山鉾町。都市部の賑いとともに
豊かな暮らしを共存させる中で、まちの景観や地域のつながりが紡がれてきました。

下京の自治の中心六角堂ろっかくどう
境内の本堂前には、京都のまちの中心に位置するという「へそ石」があります。

山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式を行ったり、鐘の音で時刻や緊急事態を知らせたり、下京の自治の中心として公民館のような役割を果たしていた六角堂。寺は町衆の精神的な拠り所でもありました。

本堂・拝堂・鐘楼
(市指定有形文化財)
地域がつながる町会所ちょうかいしょ
町会所の前の道路には山鉾を建てる時の目印が埋められていることも。

各町の自治の拠点となる建物。町内会議や地蔵盆、お火焚などを行うほか、祇園囃子の練習を行ったり、「山」や「鉾」の部材を収納する蔵を設けたり、祇園祭のためにも活用される場です。

宵山の会所飾りの会場にもなる町会所(写真/小結棚町会所)。市指定有形文化財の建物でもあります。
独特な生活空間路地ろうじ/ろじ

京町家が軒を連ね、暮らしが営まれている細い通路。田の字地区の山鉾町にも昔ながらの路地空間が残されています。四条通と綾小路通を結ぶ膏薬図子(こうやくのずし)は、「京都市京町家の保全及び継承に関する条例」に基づく指定地区のひとつです。

膏薬図子
まちの財産京町家きょうまちや

知恵と工夫を凝らしながら発展した京町家は、山鉾町の景観にも欠かせない地域の財産。仕事と住まいの機能を集約した造りのものが多く、杉本家住宅、長江家住宅、秦(はた)家住宅など、国や市の文化財の京町家も地域に息づいています。

京都遺産「京町家とその暮らしの文化」」もCheck!

長江家住宅(市指定有形文化財)では宵山の時、屏風祭が行われます。
提供/(株)フージャースコーポレーション

歩いて発見!

通り名で知る地域の歴史

室町通・新町通周辺のほかの通りに目を向けると、
商いのまちの歴史を伝える通り名が残されています。

両替町通りょうがえまちどおり

室町通の1本東にあり、丸太町通と三条通を南北に結ぶ通り。江戸時代には貨幣の鋳造などを行う金座・銀座が置かれ、両替屋も並ぶ京都の金融街になりました。全盛期の元禄時代、町人たちの暮らしぶりは「両替町風」と呼ばれたといいます。

衣棚通ころものたなどおり

室町通の1本西にある南北の通り。法衣の商店が多かったことが名前の由来です。三条通~六角通の間は了頓図子(りょうとんずし)と呼ばれる路地。安土桃山時代、茶人・廣野了頓(ひろのりょうとん)の邸宅があり、敷地内の通り抜けが町人に許可され、現在の図子の基になったと伝えられています。

醒ヶ井通さめがいどおり

堀川通の1本東側にあり、六角通と五条通を南北に結ぶ通り。源氏にもゆかりのある名水・左女牛井(さめがい)に由来する名で、通りには染色・繊維業の店や神社仏閣が点在しています。井戸は現存していませんが、碑と駒札が名だたる茶人に愛用された名水であることを今に伝えています。

まだまだあります

京都を支えた商いのまち

茶の湯文化を支えるまちせと物や町

三条麩屋町や三条柳馬場などの町内で桃山時代頃の陶器類が大量に出土。江戸時代初頭刊行の町絵図「都記(みやこのき)」などで一帯の地名が「せと物や町」と記されていることから、かつては全国各地の陶器を集め販売する瀬戸物屋街だったことが伺えます。京焼の商品も発注した様子から京焼の魅力発信拠点になったとともに、陶器が欠かせない茶の湯・茶懐石文化の発展も支えた地域といえます。

「都記」(京都大学附属図書館所蔵)を加工 市指定有形文化財 三条せと物や町界隈出土の「桃山茶陶(ももやまちゃとう)」
きもの文化を支えるまち西陣

世界に誇る日本の「きもの」文化。その発展の一端を担ってきたまちのひとつが西陣です。西陣織は工程ごとに職人が異なる分業制で、同じ地域に職人たちが集住。そのため、地域一帯がひとつの織物工場のように発展しました。500年以上にわたり織物産業に従事してきた地域特有の文化やまちの風景は、現代にも息づいています。

京都遺産「北野・西陣でつづられ広がる伝統文化」」もCheck!

認定テーマ

  • 北野・西陣でつづられ広がる伝統文化
  • 山紫水明の千年の都で育まれた庭園文化
  • 世代を越えて受け継がれる火の信仰と祭り
  • 明治の近代化への歩み
  • 千年の都の水の文化
  • 京町家とその暮らしの文化
  • いまも息づく平安王朝の雅
  • 千年の都を育む山と緑
  • 京と大阪をつなぐ港まち・伏見
  • 京の商いと祇園祭を支えるまち